最高のポップソング500選(邦楽編)第1回
日本のポップソングの中でこれは特に最高なのではないかと思うものを500曲選び、ほぼ発売日順に並べてみようというのが、今回のこの企画の意図である。選曲にあたっては客観と主観とをトムとジェリーのようになかよくけんかさせたわけだが、個人的な趣味や嗜好、思い出補正などが影響していることは否めない。
しかしまあこういうのは選ぶ人によって違ってくるのがまた面白いということもできるわけで、個人的にはこんなのなんぼあってもいいですからね、という感覚ではあるのだが、数年前にも実はかなり似たようなことをやっているにもかかわらず、なぜまたやるのかというと、ポップミュージックにリスナーとしてなんとなくマイルドに更新されたような気もしているからである。
それでは、さっそくはじめていきたい。レツゴー(三匹)。
青空/二村定一(1928)
山口県下関出身の歌手で、エノケンこと榎本健一らとともに活動したボードビリアンとしても知られる二村定一の初期のヒット曲である。オリジナルはウォーター・ドナルドソンとジョージ・A・ホワイティングによって書かれ、ジーン・オースティンの歌唱でヒットした洋楽であり、堀内敬三が日本語詞を付けた日本語カバーである。
「狭いながらも楽しい我が家」と温かくもユーモラスに歌われるこの楽曲は、1970年のロバート・アルトマン監督作品で、戦争の空しさを訴えたコメディ映画「M★A★S★H マッシュ」でも使われた。また、榎本健一、山下敬二郎、伊武雅刀、関口和之feat.竹中直人、石川さゆり、さらには大滝詠一によるバージョンでも知られる。
個人的にはRCサクセションのチャボこと仲井戸麗市が1985年の夏の終わりにリリースした初のソロアルバム「THE 仲井戸麗市 BOOK」に収録された「MY HOME」「早く帰りたい PART Ⅱ」にはげしく共感するのだが、その感覚的なルーツとしてこの楽曲もあるような認識である。
丘を越えて/藤山一郎(1931)
「古賀メロディー」と呼ばれるほど数多くのヒット曲を作曲した古賀政男の代表曲の1つで、藤山一郎の歌唱によって大ヒットした永遠の青春ソングである。
古賀政男が明治大学マンドリン倶楽部の合奏曲として作曲した「ハイキング」という楽曲がベースになっていて、これに島田芳文が歌詞を付けている。
「丘を越えて行こうよ」と歌いはじめられる歌詞は群馬県の浅間牧場をイメージしたものだというのだが、古賀政男の「ピクニック」は神奈川県の稲田堤に後輩とピクニックに行ったときに着想を得たものであり、JR南武線の稲田堤駅では2023年8月からこの曲が発車メロディーに使われている。
矢野顕子が1976年にリリースしたデビューアルバム「JAPANESE GIRL」に収録されたバージョンも有名だが、NHKのオーディションでは審査員を務めた藤山一郎の前でこの曲のパフォーマンスを披露し、見事に合格を勝ち取っていたという。
「丘を越え行こうよ 口笛吹きつつ」と歌いはじめられる童謡「ピクニック」と混同されることもありがちだが、こちらはイギリス民謡とされれる楽曲に萩原英一が日本語詞を付けたまったく別の曲である。また、小泉今日子が「丘を越えて」という曲を1990年にヒットさせているが、これもまた別の曲である。
蘇州夜曲/渡辺はま子・霧島昇(1940)
李香蘭主演で大ヒットした映画「支那の夜」挿入歌を、渡辺はま子・霧島昇が歌唱したバージョンである。作曲者の服部良一が、数ある自作曲の中でも特にお気に入りの楽曲に挙げていることでも知られる。
映画に主演していた李香蘭は中国人スターということになっていたのだが、後に日本人の山口淑子であることが発覚したり、作品そのものに大日本帝國の中国進出を正当化する国策映画的な側面が疑われたりといったこともあったのだが、当時、日本の占領下にあった国々でもヒットしたとのことである。
雪村いづみがキャラメル・ママ(細野晴臣、松任谷正隆、鈴木茂、林立夫)と共にレコーディングした1974年のカバーアルバム「スーパー・ジェネレイション」に収録されたバージョンでも知られるが、1982年にはテレビドラマ「刑事ヨロシク」の劇中で主演のビートたけしが「なんで俺が歌わなきゃいけねえんだ、バカヤロー」などと毒づきつつも、戸川純とデュエットしていたりもした。
他には美空ひばり、ASKA、サンディー、奥田民生、EPO、渡辺美里、小田和正、二階堂和美、UA、桑田佳祐、折坂悠太など、世代やジャンルを越えた様々なアーティストたちによってカバーされている。
リンゴの唄/並木路子、霧島昇(1946)
第二次世界大戦後、最初の日本映画となった「そよかぜ」の主題歌であり挿入歌としてリリースされ、大ヒットした。戦後をテーマにしたドキュメンタリーフィルムなどでバックグラウンドミュージックとして使われがちであり、戦後のイメージを象徴するヒット曲として知られる。
並木路子の明るく爽やかな歌声が敗戦直後の国民に希望をあたえたと語られがちだが、当時、戦争によって両親や兄を亡くしたりもして悲しみに暮れていた並木路子にとって、陽気に歌うことはなかなか難しく、作曲者である万城目正からの度々の叱咤激励の末に、レコーディングが完了したともいわれる。
東京ブギウギ/笠置シズ子(1948)
敗戦後の日本国民を音楽で元気づけようと作曲家の服部良一が着目したのがアメリカを発祥とするブギウギの明るいリズムであり、この楽曲のヒットをきっかけに笠置シズ子はブギの女王と呼ばれるようになった。
ダイナミックに踊りながら歌うパフォーマンスも、当時の日本のエンターテインメント界においては、ひじょうにエポックメイキングだったようである。
レコーディング時にはスタジオ近くの兵舎に住んでいたアメリカ兵たちも押し寄せていたというのだが、そういった状況もノリの良さに影響しているかもしれない。
2023年にNHKの連続テレビ小説で笠置シズ子をモデルとした「ブギウギ」を放送したことにより、広く再評価されたことも記憶に新しいが、それ以前にはアサヒビールのCMソングとしてトータス松本がこの曲の替え歌を歌ったりもしていた。
銀座カンカン娘/高峰秀子(1949)
子役としてデビューして以降、人気女優として活躍していた高峰秀子が25歳の頃に主演した映画の主題歌で、自身が歌って大ヒットした。
作曲は「東京ブギウギ」などでもおなじみの服部良一だが、映画には笠置シヅ子も出演していて、高峰秀子や灰田勝彦えあと共にこの曲を歌ってもいる。
映画で歌われる笠置シヅ子の歌唱パートでは歌詞にカンカン帽が登場し、タイトルの由来かとも思わせるのだが、レコードとして発売された高峰秀子のソロバージョンではカットされている。
当時、主に在留米兵を相手にするセックスワーカーの女性は「パンパン」と呼ばれていたらしく、「カンカン娘」とはそれをもじってカンカンに怒っている女性をあらわした造語だともいわれている。
買物ブギー/笠置シズ子(1950)
「東京ブギウギ」の大ヒットによって空前のブギブームを巻き起こし、ブギの女王と呼ばれるに至った笠置シズ子のこれもまた代表曲であり、作曲はやはり服部良一である。
歌詞は上方落語の「無い物買い」に着想を得ていて、軽快なリズムにのせて歌われる小気味よくユーモラスな大阪弁の歌詞も印象的である。
「ややこし、ややこし」というボヤきはレコーディングに苦心する笠置シズ子が思わず漏らしたのが、実際の歌詞として採用されたということなのだが、他にも「わてほんまによういわんわ」「オッサン、オッサン」などインパクトのあるフレーズが多い。